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フィレンツェ観光の穴場スポット

歴史のあるフィレンツェには沢山の観光スポットがごさいます。
魅力ある観光スポットが沢山あり、もう王道な観光スポットは行きつくしたという方達にフィレンツェの穴場スポットをご紹介いたします。少し違う、刺激も求めて行ってみては如何でしょうか?

― 見どころ ―

見どころ見どころ

バルディーニ庭園

バルディーニ庭園

街の東側のアルノ川の『向こう岸』にあるバルディーニ庭園は、もとは中世のモッツィ家の小さな庭でした。長い年月の間、各時代の所有者の趣味に合わせて手を加えられてきたこの庭は、5年に渡る修復の後2005年から一般公開されました。彫像が並ぶ17世紀のバロック式大階段を中央に、西側はイギリス・中国風の庭、東側はトスカーナの伝統的な果樹園、点在する噴水と、小さいながらも庭園の要素が揃っています。季節の花の美しさで知られ、3月は椿、4月はツツジ、5月は薔薇とアヤメ、6月は紫陽花の開花を楽しむことができます。中でも4月の満開時の藤棚はまるで紫色のトンネルを通るよう。地元の人もその素晴らしさを写真に収めにやってきます。花をフレームにした大聖堂のクーポラの眺めも素敵です。ピッティ宮殿にあるボボリ庭園と共通チケットなので、元気な方は2つのタイプの違う庭園を楽しめます。ボボリ庭園からはCosta San Giorgio側の入口を通って、アルノ川側からはVia dei Bardiの入口を通って入ります。
サン・ミニアート・アル・モンテ僧院

サン・ミニアート・アル・モンテ僧院

フィレンツェ・ロマネスク建築の宝石と呼ばれるサン・ミニアート・アル・モンテ教会。長い階段をのぼって見上げるファサードは、白と緑の調和のとれた幾何学模様と中央の金色のモザイクが印象的です。教会を背にして眺めるフィレンツェの全景も、ミケランジェロ広場からの眺めとは別な角度で楽しむことができます。ロマネスク様式ならではのほの暗い教会内部には、レース編みのような細かい床面装飾が浮かび上がって見えます。ルネッサンス芸術の傑作『ボルトガル枢機卿の礼拝堂』も必見です。教会奥には『十字架の礼拝堂』があり、そこから教会は上と下に分かれ、下は起源250年に殉教した聖ミニアスの聖遺物を祭った地下礼拝堂、上は内陣です。内陣に向かって階段を上ると、象嵌が施された13世紀の説教壇と壁があり、奥の後陣上部には金色のモザイクの輝きが見えます。
教会の前と後には『聖なる扉』という記念墓地もあり、ピノキオの著者コッローディをはじめ有名人の美しいお墓や礼拝堂があります。
修道院付属の小さな薬局には、おいしそうなお菓子が一杯。なんと修道士の中にはお菓子つくりのプロがいて、修道院内の工房でお菓子を作っているのだそうです。伝統的なイタリア各地のビスケットの他に、クリスマス時にはチョコレートケーキ、夏にはジェラートも登場。もちろんシエナ県にある総本山モンテ・オリヴェート・マッジョーレで作られるソープやクリーム、リキュール、蜂蜜やジャム、絵葉書や書籍、ロザリオも、よい旅の思い出になるでしょう。
オンニサンティ教会

オンニサンティ教会

13世紀半ばウミリアーティ派が創設した教会。彼らは毛織物の技術を周辺の住民に教えたと言われています。16世紀からフランチェスコ修道会の所有になります。本当の名前はサン・サルヴァトーレ・イン・オンニサンティ教会です。現在の正面は、17世紀のフィレンツェらしい落ち着いたバロック様式。控えめな外観とは対照的な教会内部は華やかで、特に18世紀の天井画はとても美しいです。
この教会に資金を出していた名士ヴェスプッチ家の礼拝堂には、15世紀ギルランダイヨの『慈悲の聖母』と『死せるキリストへの哀悼』が描かれ、そこにヴェスプッチ家の人々も埋葬されています。ヴェスプッチ家は新大陸アメリカの名となった探検家アメリーゴも出た一家。またボッティチェッリの『春』や『ヴィーナスの誕生』などの絵にインスピレーションを与えた、麗しいシモネッタ・ヴェスプッチもこの教会に埋葬されているとか。ボッティチェッリは、亡くなる時に、あのシモネッタの足元に眠りたいと遺言を残したそうで、彼の墓は主祭壇の脇の右手奥の礼拝堂にあります。
教会の側廊の壁には、ボッティチェッリには珍しい雄々しい男性像『書斎の聖アウグスティヌス』と、ギルランダイヨの『書斎の聖ヒエロニムス』が、向かい合わせに飾られています。背景のブルーが美しいジョットの『磔刑像』、またナポレオンの妹カロリーナの墓もあります。
バラ園

バラ園

ミケランジェロ広場右手下に広がるバラ園は、フィレンツェの小さな楽園で、五月から六月の満開時には350種類もの薔薇が咲きます。フィレンツェの街並みを眺めながら、ゆったりとした時間を過ごすことができ、天気の良い日には地元カップルのたまり場になっています。レモンの鉢植えや、1998年にフィレンツェの姉妹都市である京都の高台寺から贈呈された、庭師北山安夫氏による「松籟庭園 Shorai Teien」と呼ばれる日本庭園もあります。ベルギー人現代アーティスト、ジャン=ミシェル・フォロンの彫刻作品もバラ園の中に溶け込み、面白い写真を撮ることもできます。
入り口は3つ。ミケランジェロ広場右手下のViale Poggiの小さな入り口、サン・ニッコロ地区から上ったVia dei Bastioni とVia del Monte alle Crociが交差した地点にある入り口、Scalea del Monte alle Croceの階段を進んでいった入り口です。また真下のサン・ニッコロ地区は、下町の雰囲気がよく残っていて、気軽に食事をするところもあります。毎年4月終わりから5月終わりの約一か月間は、ミケランジェロ広場の反対側にあるアイリス庭園も一般公開され、無料で色どり鮮やかなアイリスの花を見ることができます。
捨て子養育院

捨て子養育院

ルネッサンスの代表的な建築家ブルネレスキが最初に手掛けた建築作品。サンティッシマ・アヌンツィアータ広場に面した正面の開廊は、古代建築の要素を使いつつ、人間の大きさを考えて均衡と調和を重視したルネッサンス建築の特色をよく表しています。捨て子の現実とその子供たちを助けようとするフィレンツェ人の救済の意識が、この捨て子養育院の誕生に結びつきました。近年大がかりな改装が行われてとても近代的な博物館になりました。養育院の設立、運営に寄与した人々やパトロンについての資料、母親が再会を祈って残した目印など養育院の歴史を記すコレクションの他に、若いボッティチェッリの絵画やギルランダイヨの傑作、ルーカ・デッラ・ロッビアの聖母子像などを集めた素晴らしい美術コレクションもあります。最上階の素敵なカフェからは、フィレンツェの美しい眺めを満喫できます。(エレベーターで直接最上階に行ってカフェだけを利用することもできます。)
ガリレオ科学博物館

ガリレオ科学博物館

16世紀からトスカーナを治めたメディチ家とその後支配者になったロートリンゲン家の君主達は、芸術だけでなく科学にも関心を持っていました。この博物館にはそれぞれの君主達がその関心に合わせて集めた素晴らしい蒐集品があります。(最初の大公コジモ1世は天文学、彼の長男フランチェスコ1世は錬金術、次男フェルディナンド1世も天文学に興味を持ち、コジモ2世の宮廷にはガリレオ・ガリレイが出入りし、フェルディナンド2世の時代には『実験アカデミー』が創設されます。)メディチ家の君主達は、当時のハイテクを駆使した豪華なこれらの科学的器具を、権力の象徴と考えていました。一方啓蒙思想に触発されたロートリンゲン家は、『教育』を通じて国民に知識を与えることで統治をたやすくできると考えたため、科学を推奨していき、18世紀には電気も登場します。科学は苦手という人も、超豪華なアルミラーリ球体をはじめ展示品の美しさに魅了されるでしょう。必見はガリレオ・ガリレイのセクションで、彼が発明した望遠鏡、木星の周辺の衛星(後にメディチの星と呼ばれる)を発見した望遠鏡のレンズ、彼の指の骨なども展示されています。
サン・マルコ美術館

サン・マルコ美術館

サン・マルコ修道院は15世紀前半メディチ家の老コジモが資金を出して、友人の建築家ミケロッツォに建築させた、機能的で近代的なルネッサンス様式の修道院建物です。フラ・アンジェリコと工房が僧房に描いた美しいフレスコ画が有名でしたが、各地の聖所に散らばっていた色鮮やかな祭壇画が集められて、1921年からこの画僧をテーマにした博物館として公開されました。2014年の嵐で展示室と数枚の絵画が被害を受けました。その後の修復のお陰で、なお一層美しい色が蘇った作品を堪能することが可能になりました。この修道院には、15世紀末フィレンツェに神権政治をふるったサヴォナローラの足跡も残っています。必見は何と言っても、二階の『受胎告知』の壁画です。明るく美しいフラ・アンジェリコの絵とゆったりとした落ち着いた修道院の空間は、祈りと瞑想を中心にした修道士の生活を知るだけでなく、日常生活に疲れた魂を優しく癒してくれる場所です。
ぺトライアのメディチ家別荘

ぺトライアのメディチ家別荘

トスカーナにある12のメディチ家別荘と2つの庭園は、2013年ユネスコの世界遺産に登録されました。ぺトライアの別荘はその一つです。フィレンツェから約8キロ離れた郊外にあり、バスで行くことも可能。別荘前にはイタリア式庭園が広がります。
16世紀半ばメディチ家大公コジモ1世が購入した後、次男のフェルディナンド1世の時代に、中庭にメディチ家の栄光をテーマにした美しい壁画が描かれました。フィレンツェがイタリアの首都になった1865年から71年の間、イタリア国王ヴィット―リオ・エマヌエーレ2世と『美しいロジーナ』と呼ばれたローザ・ヴェルチェッラーナのお気に入りの場所になりました。この時中庭は閉じられ美しいシャンデリアがつけられて舞踏会ホールとして使われました。ビリアードが置かれた遊戯室や寝室なども当時の豪華な家具や調度品がよく保存されています。見学は1時間おきで、予約時間に係員と一緒に見学します。別荘内の見学は予約必要(電話055‐452691)