鉄道によるイタリア地方都市の旅
今年の9月下旬から15日かけてイタリアの中部、北部の地方都市を主に鉄道を利用して巡る旅をしてきました。
メンバーは私と家内、お誘いした87才の超健康人の奈良のNさん、タイの恵まれない子たちに教育援助を続ける島田のMさんの4人。
どなたも人生経験、ビジネス経験豊富。列車の中では談論風発、ときには爆笑もでたりして楽しいサロンカーになるのでした。
イタリア語はだめで英語のみの私がガイド役、家内は「なんか心配だ」と言い、もちろん私もいろいろ不安ですがどうしようもありません。
新型インフルエンザまで怖い。でも「えい!」と行くだけでした。
イタリアはご承知の通り、日本の縄文時代。古代ローマは人類初ともいうべき巨大文明帝国を作りあげました。
最大に発展したときは、西はイギリスなど西欧、さらに中欧、東欧、中近東諸国、アフリカの北岸全部を支配。
現代なら何十カ国になるのでしょうか。
現代のヨーロッパ人にとって、古代ギリシャや古代ローマは憧れの文明。
ローマの足跡が残っていることを誇りとしていると聞いたことがあります。
イタリアの地方都市はその本場、必ずといっていいほどこの古代ローマの遺跡、
さらに中世の遺跡が残っていて、木の文明の日本とは段違いの保存性の威力をみせてくれました。
そのうえに15世紀から華ひらいたルネッサンスの芸術は、そこに一段ときらびやかな彩りを与えていました。
「史跡と芸術の世界の王国」だと思います。
イタリアはこの遺産だけで、人類の宝物殿としての価値を活かし、
工業などという厄介なことなどやらなくてもずっと食っていけるように思いました。
100年後、200年後などにはその価値はますます高まるのではないでしょうか?
この国はキリスト教カトリックの世界の総本山。
でもどうした訳か男性のキリストより女性の聖母マリアが大好きなのです。
教会はマリアの名を冠したのが3000もあるそうです。
善男、善女はマリア様や土地の守護聖人に祈りをささげ、救いを求めます。
南米はほとんどカトリックでしたが、マリア信仰が熱烈であったことを思い出しました。
ローマ帝国のハイウエイの一つアッピア街道は、2000年の時を超えて今なお命脈をたもっていました。
道幅は2車線くらい、ところどころに笠松や糸杉が生えていました。
この道にぽつんと一軒のレストランらしき家があり、
丁度昼どきでもありましたので中に立寄りました。
先客は紳士たった一人。
彼が「この黒ずんだ石の壁は2000年前の墓室の一部であった」というのです。
「2000年前!?」のものがこともなげに在るのに驚きました。日本ならどれほど宣伝するか判りません。
出されたラザニアと生ハムは良い味でした。
トスカーナ地方の、のどかな田園の中の丘の上に「トスカーナの真珠」とたたえられるシエナの街があります。
中世には350年にわたって、フィレンツエと覇権を争った強力な都市国家でした。
このシエナの旧市街の中心には「世界一美しい広場」といわれるカンポ広場があります。
全体は貝殻のような形で要の部分に宮殿と100mもある石造りの塔が立っていて存在感を際だたせています。
周囲を中世の建物で囲み、石畳の地面は要の部分にむかって傾斜していました。
世界中で何百もの広場を見てきました。
うまく説明できませんが、これほど計算されつくした美しい広場は見たことがありません。
夜、この広場に仰向けに寝転んで見あげた黒いほどの紺碧の空に輝く金色の半月、
ぐるりと視野に入ってくる周りの建物の姿、 その不思議な光景は忘れることができません。
同じくここに寝転んだMさんは「人生最高のぜいたくなひととき」とのたまったとか。
嬉しいことに、泊まった歴史のある小さなホテルは広場にたった数分のところ。なんべんも足をはこんだのでした。
かねがねトスカーナの田舎道をゆっくり散歩したいと思っていましたが、その美しさで世界遺産になったオルチャ渓谷の散歩をしました。
渓谷といっても見わたすかぎり360度が、なだらかな丘陵地帯でたまに農家があり、
葡萄畑やヒマワリの畑や牧草地があったりしてところどころに 糸杉が風景にアクセントをつけていました。
のどかな風景でした。
道中、朝市のあるところでは車を停めてチーズや蜂蜜を買ったり、
世界遺産の街ピエンツアでは名物のチーズの味見をして買ったり、
葡萄酒が有名なモンタルチーノではあちこちの店で利き酒をしたり、買ったり、
車を先に行かせておいて田舎道をゆっくり散歩したりして楽しみました。
「花の都」フィレンツエを代表する「花の聖母マリア大聖堂」その大聖堂をひときは目立たせるのは、
頂上にある鉢を逆さにしたような茶色のクーポラです。
このクーポラは直径が42m、高さが100mもある巨大なものですが、
石を組みあげて、自分の重さで全体をささえているのです。
支える柱もなければ、接着のためのモルタルも使っていないのです。
建設前はあまりの巨大さ、高圧力に職人たちは大壊滅を恐れて全員しり込み。
名建築家ブルネレスキが2重円蓋という革命的なアイデアをだし難問を解決したのでした。
私たちはそのクーポラまで「ふうふう」いって登り、歴史にのこる名作をまじかに鑑賞いたしました。
「アドリア海の女王」ベネチアは運河の街、バスや自動車はありません。すべて船です。
水上バス「バポレット」は観光にとても便利、乗り降り自由のチケットで気にいったところで降りて観光を楽しみました。
歩いてショッピングもしましたが、広くないのでくたびれません。
サン.マルコ寺院の2階正面のテラスには、十字軍がコンスタンチノープルから奪ってきた、
有名な4頭の青銅馬像が飾ってありますがこれはコピー。
本物は部屋の中にありましたが、その躍動感はとても迫力がありました。
イタリア北部の東端のトリエステにも行きました。白亜の瀟洒なミラマーレ城を見物したり、シーフードを楽しんだりしました。
ジェノバは、中世には「地中海の王」として海上貿易に君臨したときがあり、その栄華のあとは旧市街に残っていました。
「たまには贅沢を」ということで、ローマ法王もこられた街一番のゼッフェリーニというレストランに行きました。
ウエイターに「小食だから少な目のものにして」と念をおして頼みました。
メインのパスタは緑色のソースがかかっていましたが 、噛めば噛むほど味がでてくるのでした。
でもやはり半分近くしか食べきれません。
シェフが笑顔で挨拶に来てくれて記念写真もとりました。
最後の日は、アルプスの麓にある美しいコモ湖に行き、暖かい秋の日差しの中、残りの柿の種を食べたりしながら
高級別荘地ベッラージオまでの往復の周遊を楽しみました。湖岸には趣の違う村や町が現れ、古風な民家があったり、
手の込んだ庭園がみえたり、山々が姿をかえてみえたり、長旅の疲れがいえるようなおだやかな一日になりました。
説明を省きましたが,この他エトルリア人の地下墓室、世界最古の大学ボローニア大学、パドバの世界遺産の植物園、
ウフィツイ美術館、スクローベニ礼拝堂、ミラノスカラ座「オルフェウス」の初演、「最後の晩餐」なども見物しました。
今回の旅は、気をもんだり、感動したりいろいろありましたがとても素晴らしい旅でした。
イタリアはたいしたものだという感を一層深めました。